「給与や福利厚生よりも、社風や人間関係を重視する」—。近年の採用市場、特にZ世代を中心とした若手の就職活動において、この傾向はますます顕著になっています。彼らが企業選びの最終的な決め手として口にする、「なんか楽しそう」という言葉。一見すると、このふわっとした「感覚」は、非合理的で実体がないように思えるかもしれません。
しかし、この感覚こそが、これからの採用ブランディングの鍵を握っています。本記事では、この「なんか楽しそう」という感覚の正体を、国内外の調査データや心理学の理論を基に分析し、企業が若手人材を惹きつけるために何をすべきかを考察します。
データが示す「楽しそう」の重要性
若者たちが「楽しさ」を重視する傾向は、各種の公的な調査結果にも明確に表れています。
株式会社マイナビが毎年実施している「大学生の就職意識調査」(2025年卒版)によると、学生が企業選択をする際に最も重視する項目は「社内の雰囲気が良い」であり、これは「給料の良い会社」や「安定している会社」を上回る結果となっています。
出典: 株式会社マイナビ「2025年卒 大学生 就職意識調査」
この傾向は海外でも同様です。監査法人デロイト トーマツ グループの「世界ミレニアル・Z世代年次調査 2024」によれば、日本のZ世代が勤務先を選ぶ際に最も重視する項目は「ワークライフバランス」、次いで「ポジティブな職場環境」が挙げられています。これは、高い給与よりも、心身ともに健康でいられる、居心地の良い環境を求める価値観の表れです。
出典: デロイト トーマツ グループ「世界ミレニアル・Z世代年次調査 2024」
これらのデータから、「楽しそう」という感覚は単なる気まぐれではなく、「良好な人間関係」と「心理的な幸福」を希求する、彼らなりの合理的な選択基準であることがわかります。
「楽しそう」の正体 – 3つの心理的欲求
では、求職者は採用サイトの写真や社員の言葉から、具体的に何を感じ取り「楽しそう」と判断しているのでしょうか。その深層心理は、心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論(Self-Determination Theory)」で説明できます。この理論によれば、人間は生まれながらにして以下の3つの心理的欲求を持っており、これらが満たされる環境で幸福を感じ、意欲が高まります。「楽しそう」という感覚は、これらの欲求が満たされそうか否かを、直感的に判断している結果なのです。
1. 「関係性」の欲求 – 良い仲間と繋がりたい
人は、他者と尊重し合える関係を築き、コミュニティに所属していると感じたい生き物です。求職者は、採用サイトに掲載された社員の写真の自然な笑顔や、協調的な雰囲気から、「この人たちとなら良い関係を築けそうだ」と感じ取ります。社員インタビューでの「チームで助け合った経験」や、SNSでの社員同士の楽しげなやり取りは、この「関係性」の欲求が満たされる職場であることの強力な証拠となります。
2. 「自律性」の欲求 – 自分らしく働きたい
自分の行動を自分で選択し、コントロールしたいという欲求です。画一的なリクルートスーツ姿の集合写真ではなく、自由な服装で働く社員の姿や、個性的なデザインのオフィスは、「ここは個性を尊重し、ある程度の裁量を持って働ける場所だ」というシグナルを送ります。リモートワークやフレックスタイムといった柔軟な働き方の提示も、この「自律性」の欲求に応えるものです。
3. 「有能感」の欲求 – 成長を実感したい
自分が有能であり、スキルアップしている、物事を成し遂げていると感じたいという欲求です。「楽しそう」という感覚は、単なる居心地の良さだけではありません。若手社員が責任ある仕事を任され、活き活きと課題に取り組んでいる事例や、具体的な研修制度、資格取得支援制度の紹介は、「この会社なら成長できる楽しさがある」という期待感を抱かせます。
「楽しそう」を演出する求人コンテンツと、その”罠”
これらの心理的欲求に基づけば、若者が「楽しそう」と感じるコンテンツの方向性が見えてきます。
- 写真や動画: 加工された宣材写真ではなく、チームランチやブレインストーミングの様子など、ありのままの「日常」を切り取った写真。
- 文章や言葉遣い: 堅苦しい定型文ではなく、「〇〇さん」付けの文化や、社員のリアルな言葉で語られるインタビュー記事。
- 環境や制度: フリードリンクや服装の自由、ユニークなオフィスデザインなど、画一的ではない、働き方の「自由度」を感じさせる要素。
重要な注意点 – 万人に響く「楽しさ」は存在しない
しかし、ここで注意すべきは、これらの『楽しそう』な要素は、統計的に多数派である若者をターゲットにした場合に有効な手法であるという点です。
一方で、より高度な専門性や、ストイックな成長環境を求める一部の若手上位層(例えば、将来の起業を考える野心的な人材や、特定の技術を極めたい研究者タイプの学生)にとっては、こうした演出が逆に「仕事への真剣さが足りない」「馴れ合いの文化ではないか」というネガティブなシグナルとして映る可能性も否定できません。
したがって、企業は自社が本当に求める人材像を明確にし、それに合わせて情報発信のトーンを調整する必要があります。「楽しさ」の定義は一つではないのです。
「なんか楽しそう」という若者の言葉は、決して非合理的な感覚ではありません。それは、人間が本能的に求める「良好な人間関係」「自分らしさの発揮」「成長実感」という3つの要素を、その企業が満たしてくれそうかを直感的に評価した、極めて高度な判断なのです。
これからの採用活動で企業が伝えるべきは、給与や事業内容といった「スペック」だけではありません。社員がどのような表情で、どのような裁量を持ち、どのように成長しているのかという「働くことの体験価値」そのものです。飾らないありのままの姿を、自社が求めるターゲットに向けて誠実に発信し続けること。それが、この曖昧で、しかし最も重要な感覚に訴えかけ、若く優秀な才能を惹きつける唯一の方法と言えるでしょう。