「良い会社には良い人材が集まり、定着する」これは多くの経営者や人事担当者が信じる原則です。しかし、その一方で「退職者が全く出ない会社は、変化がなく『ぬるま湯』になっている危険性がある」という指摘もまた真実です。
では、自社の人材定着状況をどのように客観的に評価すれば良いのでしょうか。重要なのは、感情論ではなく、公的なデータに基づいた「正しい現状認識」です。この記事では、厚生労働省などの公的調査データを基に、日本の企業の平均的な離職率や勤続年数を解き明かし、自社の立ち位置を判断するための客観的なモノサシを提供します。
離職率の全国平均 – あなたの会社は高い?低い?
まず、最も基本的な指標である「離職率」から見ていきましょう。厚生労働省が公表している最新の「雇用動向調査結果(令和5年)」によると、日本全体の離職率は15.4%でした。つまり、1年間で約100人に15人が職場を去っているのが平均的な姿です。
しかし、この数字はあくまで全体平均。より重要なのは、新卒者の定着率と、業界による大きな差です。
新卒大卒の「3年後離職率」は約32%
特に注目すべきは、新規学卒者の離職率です。多くの企業が時間とコストをかけて採用・育成する新入社員が、どれくらい定着しているのでしょうか。
厚生労働省の最新調査(令和4年3月卒業者)によると、大学卒業後3年以内の離職率は32.0%にも上ります。これは、新卒で入社した大卒社員の約3人に1人が、3年以内に会社を辞めているという厳しい現実を示しています。
学歴別・卒業後3年以内離職率(厚生労働省「新規学卒就職者の離職状況(令和4年3月卒業者)」より)
このデータから、もし自社の新卒3年後定着率が7割を超えていれば、それは平均以上の定着実績と言えます。逆に7割を下回っている場合は、採用のミスマッチや、入社後のフォローアップ体制に何らかの課題がある可能性を示唆しています。
業界によって最大3倍近い差がある離職率
もう一つ重要な視点が「業界差」です。全産業の平均離職率15.4%と比較しても、業界によっては全く景色が異なります。
| 産業 | 離職率(年) | 特徴 |
|---|---|---|
| 宿泊業、飲食サービス業 | 25.6% | 最も離職率が高く、労働集約型で不規則な勤務形態が影響していると推測される。 |
| 生活関連サービス業、娯楽業 | 22.3% | 顧客との直接的なやり取りが多く、精神的な負担が大きい職種も含まれる。 |
| 医療、福祉 | 13.5% | 専門性が高く需要も安定しているが、夜勤や責任の重さから離職につながるケースもある。 |
| 製造業 | 9.5% | 比較的安定しており、技術やノウハウの蓄積が重視される傾向がある。 |
| 金融業、保険業 | 8.7% | 専門知識が求められ、比較的高い給与水準や安定性が定着に繋がっている。 |
このように、自社の離職率を評価する際は、全体の平均だけでなく、所属する業界の平均値と比較することが極めて重要です。例えば、飲食サービス業で離職率が20%であれば、それは業界平均よりも低い「健闘している」水準と言えるかもしれません。
平均勤続年数 – 社員はどれくらい会社にいるのか?
次に、人材定着を測るもう一つの重要な指標「平均勤続年数」を見てみましょう。国税庁の「令和5年分 民間給与実態統計調査」によると、日本の給与所得者の平均勤続年数は12.8年です。
こちらも企業規模によって差が見られます。一般的に、大企業の方が福利厚生やキャリアパスが整備されているため、勤続年数が長くなる傾向があります。大企業の平均勤続年数は15年以上となることも珍しくなく、一方で中小企業では10年前後が一般的です。自社の規模感を考慮して、これらの数値を一つのベンチマークとすると良いでしょう。
平均勤続年数が極端に短い場合は、社員が長期的なキャリアを築きにくい何らかの要因(評価制度、成長機会の不足など)がある可能性が考えられます。
「ぬるま湯」の危険性 – 離職率が低すぎるのも問題
ここまで離職率や勤続年数の平均値を見てきましたが、ここで重要な問いが生まれます。「では、離職率は低ければ低いほど良いのか?」答えは必ずしも「イエス」ではありません。
離職率が極端に低い、つまり人の入れ替わりが全くない組織は、以下のようなリスクを抱えている可能性があります。
健全な組織には、一定の「新陳代謝」が必要です。もちろん、高い離職率は採用・教育コストの増大やノウハウ流出といった深刻な問題を引き起こしますが、ゼロを目指すのではなく、自社の業界や成長フェーズに合った「適正な離職率」を維持するという視点が重要になります。
AI時代に「採用すべき人材」と「採用を止めるべき仕事」
今、企業の採用戦略は、生成AIの急速な進化によって根底から見直されています。従来の「スキル」や「知識」だけでは、企業の競争力を維持できなくなってきているからです。
実際、ある調査によると、生成AIの活用推進により、約9割(88.4%)の企業が新卒採用の戦略や方針を見直しており、約5割(55.4%)が採用人数を削減しています(出典:生成AI時代の採用戦略を緊急調査)。この変化は、特定の業務がAIに代替されつつあることを示しています。
AIに代替されにくい「人が価値を生む」人材要件
AIの進化により、企業が採用で重視する人材要件は大きくシフトしています。調査結果からも、企業が強く求めるようになったのは、AIを「道具」として使いこなし、人間ならではの付加価値を生み出す能力です。
AI時代に重視される能力(例)
※出典:「生成AI時代の採用戦略を緊急調査」(一部抜粋、カッコ内は企業がより重視するようになった割合)
採用を「見直すべき」仕事・職務
採用を控える、あるいは職務内容を大幅に見直すべきなのは、AIが得意とする「定型業務」や「データ処理」が主体の仕事です。
| カテゴリー | 具体的な職務・業務 | 代替される理由 |
|---|---|---|
| 事務・バックオフィス | データ入力、定型的なメール作成、請求書処理、マニュアル作成(初稿) | RPAや生成AIによるルーティンワークの自動化が容易。正確性もAIの方が高い。 |
| 情報収集・分析 | 大量の文献やデータの要約、市場調査の一次情報収集、単純なデータ分析レポート作成 | AIが数秒で大量の情報を処理し、要点を抽出・構造化できるため。 |
| クリエイティブ(基礎) | 定型のWebデザイン、簡単な画像作成、コピーライティングのバリエーション出し | 生成AI(画像・テキスト)が質の高い素材を即座に大量生産できる。 |
これらの職務自体がなくなるわけではなく、「人件費をかけて人を採用してまでやらせる業務」ではなくなるという認識が必要です。企業は、AIによって効率化されたリソースを、より創造的で非定型的な、「人にしかできない仕事」にシフトさせることが求められます。
採用と定着を成功に導くアクションプラン
現状を正しく認識し、課題を特定し、具体的な対策を打つ。このサイクルを継続的に回すことが、強い組織づくりの鍵となります。
自社の「離職率」や「平均勤続年数」を公的データと比較し、現状を把握します。同時に、今後3〜5年でAIが代替する業務を洗い出し、採用計画と業務設計を連動させます。採用コストをかけるべきは、AIが補完できない領域です。
「給与・待遇」などの従来の課題に加え、「AIを活用した業務効率化への挑戦」といった観点で社員の声を深掘りします。採用では、従来の知識偏重から、「創造性」「適応力」「論理的思考力」を重視した人物評価にシフトします。
特定された課題に対し、具体的な改善策を実行します。特にAI時代においては、既存社員向けのAIツール研修やリスキリングの仕組みを充実させ、「新しいことを学べる会社」として選ばれる環境を創り上げることが重要です。
施策を実行したら、必ず効果測定を行います。離職率や社員満足度に加え、「AIツールの利用率」や「AIを活用した新規事業提案数」なども指標に加え、分析と改善のサイクルを粘り強く回し続けます。
最終結論 – 「良い会社」とは、健全な新陳代謝を持つ組織である
本記事を通じて明らかになったのは、単に「離職率が低い=良い会社」という単純な図式は成り立たない、ということです。真に「良い会社」とは、社員が不満を持って去っていくのではなく、ポジティブな理由(スキルアップ、独立など)で卒業していくような、健全な新陳代謝がある組織です。
そして、そのような組織を創るための第一歩は、公的なデータを活用して自社の現状を客観的に、そして冷静に把握することに他なりません。平均値は、あくまで自社の健康状態を知るための「体温計」や「血圧計」のようなものです。
自社の数値を正しく計測し、平均と比較し、もし課題が見つかれば、その原因を真摯に探り、改善策を実行する。この地道なプロセスの継続こそが、社員一人ひとりが成長を実感でき、結果として企業も成長していくという、理想的な組織を創り上げる唯一の道なのです。

